殿様が魅せられた 南蛮菓子タルト

タルトは、久松家初代松山藩主・松平定行公が、
ポルトガル人から教わったといわれています。

幕府より長崎探題職兼務の名をうけていた
定行公は、正保4年(1647)ポルトガル船二隻が入港したとの知らせで、急遽長崎に向かい、
海上警備にあたりました。

日本へ来航した目的は、
ポルトガルがイスパニアの権勢から離れ、
ブラガンザ家のジョン四世の統治に
なったことを報ずるためであり、
港内では争いもなく、引き上げていきました。

この時、定行公は南蛮菓子タルトに接し、
その味を賞でて、
製法を松山に持ち帰ったといわれています。

その南蛮菓子タルトは、
カステラの中にジャムが巻かれたもので、
現在のような餡入りのタルトは、
定行公が独自に考案したものと思われます。

その製法は後に久松家の家伝とされ、
明治以降、松山の菓子司に技術が伝わり、
四国の名菓となりました。